3月14日(火)
昨日より朝の調子は良くなった。
胸が少し張る。
歯磨き中にとうとうもどしてしまう。
午前中睡魔に負ける。
げっぷが出る。
ネットで昨日の水はなんだったんだろうと調べてみる。
生理的に起こるものというものもあれば、流産の予兆というものもある。
前者だったら気は楽だけど、後者だったらちょっと心配だ。
とりあえず病院に電話で聞いてみよう。
看護士さんに症状を伝える。
出血や下腹部痛の有無を聞かれたが、それはないと答える。
看護士さんが奥にいる先生に聞いてくれているようだが、
なんだか良くない感じを察した。
急に不安になって受話器を持ちながら声を押し殺して泣いた。
看護士さんはしばらくして「痛みや出血があったらすぐまた電話ください。
痛みも出血もなければそのまま様子見てていいですよ」と答えてくれた。
「こういう生理的現象が起こることもあるってことですね?」
「そうです」
電話を切った後、不安が増し、泣きながらおなかをさすり
「頑張れ 頑張れ」と言いつづけた。
妊娠して初めて流す涙がうれし涙じゃなくて不安の涙なのが悔しかった。
自分でもなんて情緒不安定なんだ、と時々冷静に思えるんだけど、
やっぱり不安な気持ちが勝ってしまう。
母にも症状を伝える。「子宮がひきつった感じになったり、お腹が痛くなったり
微量の出血があるときは安静が一番。出産まではいろいろあるけど、
大事ににしすぎてもダメだけど、無理のないようにしてね。体冷やさないように」と。
わたし専業主婦だし、相当安静な生活してるんだけどな(笑)
夜になり、ダンナが帰ってきた。なにやらケーキ屋さんの大きな箱を持っている。
「どうしたの?」
「だって今日、ホワイトデーでしょ♪」
「わ、忘れてた…」
たくさん買ってきてくれてうれしかった。
「わたしが落ち込んでたから?」
「ううん、もともと買う予定だったんだよ」
なんだかちょっと元気が出た。うれしくてまた泣いた。
3月15日(水)
朝からちょいちょいえづいてしまう。
歯磨きは工夫しながらなんとかリタイヤせずに頑張る。
悪寒がする。足湯がしたいけど、お湯を入れるとすっごーく重くて運ぶのが
毎度大変なので躊躇してやめてしまう。
午前中の買い物で少し気分が悪くなってしまう。
おなかゆるゆる。でもやっぱり出がどんどん悪くなる。
左に下腹部痛がある。
少し生理痛っぽい感じもある。
夕方から夜にかけて左の下腹部痛が強くなる。かなり痛い。
なんで左ばっかり?もしや子宮外妊娠??大丈夫かなぁ。
いつも水曜日は肩が脱臼するんじゃないかっていうくらいの食料などを
買い込んでいる。だけど、今日は牛乳2本だけはダンナに買ってきてもらうことにした。
2kg減るだけでもだいぶ気が楽だった。
本当は別の日に買えばいいのに、どうしてもお買い得デーにゲットしたいという
主婦魂を「いいよ、いいよ」と許してくれるダンナに感謝。
3月16日(木)
朝食はほとんど食べられない。
でも食べなきゃダメだとゆっくりゆっくり少量をなんとか食べる。
2003年12月から計り始めた婦人体温計に今日初めて
妊娠を示すハートのマークがついた。
すごくうれしかった。ダンナもじーっとそれを見ていた。
歯磨きは相変わらず苦戦。
少し生理痛のようなものがある。
左の下腹部痛が頻繁にある。結構痛い。
母からもダンナからも病院行ってみたら?と。
確かにわたしも不安なまま土日を過ごせる自信がない。
明日病院に行ってみよう。
3月17日(金)
朝体温がかなり下がった。ショックで朝から泣いてしまう。
不安な気持ちのまま病院へ。
B総合病院の婦人科へ
前回の診察待ち時間は待合室に置いてある妊婦用雑誌などを
読んでいたが、今回はなんだかそれを読む気持ちになれず、
家から持参した大好きなインテリア雑誌を読みながら気を紛らわせた。
先生に症状を伝えるとまず尿検査をした。
結果はやっぱり弱陽性だそう。
先生も弱ったな、という顔をしている。
「あー、もしやこれはヤバイのかな…」となんとなく思った。
左の下腹部痛については「大事なことだからちゃんと見てみようね」と
超音波検査で見てみることに。
“大事なことだから”とか一言付け加えて言ってくれるだけで気持ちが全然違う。
先生はそういうやさしい先生だ。
先生は見ながら「左の卵巣が腫れてるかもなぁ、これ」と。
でも「子宮外の反応は出てないからその可能性は低いと思うよ」と言われ、
一番恐れていた子宮外妊娠ではなさそうといういうだけでも安心した。
「卵巣については痛みがあまりにひどくなってしまったら土日でも
病院に来てくれて大丈夫だからね。ひどいとおなか開いて見てみる
ことになるけど」と言われ、ゾッとした。手術したことないからだ。
でも先生は「でも稀だよ、稀」と付け加えた。
わたしがそんなに不安でグチャグチャな顔しちゃってたのかな。
子宮には何も見えなかったという。
でも、「弱陽性だから見えなくて当然なんだよ」と。
妊娠ホルモン(HCG)の数値が上がってきたら陽性反応も濃くなるし
胎嚢も超音波で見えてくるそう。
月曜日にHCGの量を測るから、朝一番の尿を持参してきてねと
容器を渡され帰宅した。
ダンナと母に報告のメールをした。
母は「あまり落ち込まないで 神様が守ってくれるよ★ 心の中で
お祈りをして…(あなたは)仮死状態から無事に大きくなれたのだから
神様が救ってくれたと思ってます なんてね(笑)」と励ましてくれた。
母は妊娠中も臨月までつわりのような症状が続き、生まれてもわたしは
全く泣かず、しかも真っ黒で仮死状態だったために、助産婦さん達に
「黒子(くろこ)が生まれた、黒子が生まれた!」と言われ、すごく心細い思いをしたらしい。
酸素器に入れられたわたしを見てずっと祈っていたんだろうなぁと思う。
その後もずっと体が弱かったため、たくさん苦労をかけた。
親戚に会うとわたしは今でも「よくここまで元気になれたね」とビックリされる。
そんな経験をしてきた母の言ってくれたことばは心強い。
水の件以来怖くなるからネットで調べるのはやめていたのだが
やっぱり気になってHCGについて少し調べてみてしまった。
HCGはどんどん増えていくものらしい。
わたしはいつまでたっても弱陽性。増えてないみたい。
HCGが増えないのは流産の傾向があると書いてある。
あぁ〜、やっぱりそうなのか…。不安だな。
と思った瞬間に泣き崩れてしまった。
その後、買い物中もガマンしても涙がにじんでしまう。
まわりのお客さん達、どうか花粉症かな?強風のせいかな?と思ってくださいと念じる。
こんな日に限ってダンナはどうしても外せない飲み会が入ってしまっている。
1人でじっとしていると涙が止まらない。
わたしがバセドー病だから?
こんなに安静にしているのにダメなの?
「ねぇ、頑張ろうよ」おなかに何度も言い聞かせる。
でもきっとわたし以上に頑張っているに違いない。
だって生きたいはずだもん。
どんなことしてでも守るからね!!
そんなわたしの気持ちを察したのか母から電話があった。
「大丈夫?卵巣の腫れはお母さんもよくあるけど、なぜか自然と治っちゃったり
するから大丈夫だと思うよ。でも妊娠ホルモンが少ないのはちょっと心配だよね」
「数値が良くなかったらホルモンの注射とか打ってくれるのかなぁ?」
わたしはなんとしてでも繋ぎ止めたかった。
「先生がそうするというならお願いしてもいいと思うけど、無理に頑張るのは
お母さんとしては心配だよ…。そういう子はやっぱり生まれてきてもすごく
弱いからあなたも子どもも苦労するよ。あなたはお母さんのおなかに
ずっとしがみついてくれてたからちゃんとここまで大きくなれたけど、
あなたの従姉妹は亡くなっちゃったでしょう?」と静かに言った。
わたしの従姉妹は生後10日で亡くなった。
叔母は妊娠初期にずっとひどい風邪をひいていて薬を大量に飲んでいた。
妊娠に気づいてからすぐにやめたけれど、ずっと症状はよくなかった。
心配な状態が続いたけれど、無事に出産し、みんな喜んだのもつかの間、
心臓がちゃんと育っておらず、小さい体で十何時間という大手術を受けた後、亡くなってしまったのだ。
叔母はあれは絶対薬のせいだったと、いつもわたしに「薬にだけは気をつけてね」と言う。
無理に繋ぎ止めない方がいい。
そうか…そうかもな…。
繋ぎ止めたいのはわたしのエゴかもしれない。
少し冷静になれた。
それから、ダンナからも電話がかかってきて、「泣かないの。頑張らなくちゃ。
飲み会はあるけど、なるべく早く帰るからね」と元気づけてくれた。
テレビを見ていたら、タレントの西村知美夫妻の不妊治療について特集していた。
彼女は2度の流産を経て1児の母になった。
ご主人は「妻が笑顔でいるだけにとても辛かった」と話していた。
本人も子どもはすぐにできるものだと思っていたのになかなかできなくて
後ろ向きな気持ちになることもあったと素直に語っていた。
でも相田みつを美術館で
「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」
ということばを読み、考え方1つでいくらでも「しあわせだ」と
感じることができるんだとハッとしたんだという。
それから24時間テレビのマラソンなどにトライし、
自分なりのしあわせを見つけたりしているうちにふっと妊娠し、
無事出産したということだった。
子どもができるのが当たり前なんじゃなくて本当はできない方が当たり前と思うと
子どもがいることはなんてラッキーなんだって思えると言っていた。
考え方1つか…。
思えばわたしは泣いてばっかりだなぁ。
それにもっと苦労している人だってたくさんいるじゃないか。
まだわたしの頑張りは足りないのかもなぁ…と思った。
でも、やっぱりもうすぐお別れなのかぁと思うと…
辛い。どう考えても辛い。
まだおなかに宿って少しだけど、いとおしい気持ちに変わりはない。
わたしは1人でじっとしていると悲しい気持ちでいっぱいになるので
家事を黙々とやった。重いからと敬遠していた足湯もした。
それでも時間の長さを感じた。
ダンナに早く帰ってきてほしい。
ダンナが帰ってきてからも、わたしはなお泣いた。
夜中だというのに大声で泣きわめいた。
泣いて息ができなくなったのはいつぶりだろう…。
ダンナは、まだ決めつけるなと言う。
でもわたしにはわかるんだもん!!
ダンナはこう言った。
「俺ね、今日おなかの子、大丈夫だって思ったの。
なんでかわかる?」
「わかんないよ!!」
「あのね、今日会社の窓からおっっっきな虹が一瞬だけ見えたの。
一瞬で消えちゃったんだけどね。
それ見たら“あ、大丈夫だな”って思ったんだよ」
すごく優しい口調だった。
「虹?」
「うん、虹」
「虹が見えたの? そっかぁ。虹かぁ」
少し心が温かくなった。
大丈夫かもしれないと少し思えた。
「虹、大きかったんだ?」
「大きかったよー」
「わたしも見たかったなぁ、虹」
寝る前にほんの少し血が出た。
でも散々気が済むまで泣いたし、ダンナに
「泣くのは今日で終わり!」と言われたこともあり、
受け入れられる態勢にはなっていた。